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2011年12月24日土曜日

戦争錦絵をみてみませんか?

この絵は「鹿児島征討紀聞 〔賊徒の女隊図〕」というタイトルで、西南戦争のまさに戦争中に販売された錦絵です。国立国会図書館のデジタルデータを使用して、このような錦絵をご覧いただけるウェブサイトを運営しています。「西南戦争錦絵美術館」「日清戦争錦絵美術館」です。ぜひご覧ください。

2011年12月14日水曜日

坂の上の雲(NHKドラマ)批判本2冊


NHKドラマ「坂の上の雲」が間もなく完結するようだが、そのドラマに対する2冊の批判本を読んだ。1つ目が NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う 日清戦争の虚構と真実 という長いタイトルの本で、左側からの問いかけ。なかなか考えさせられた。このホームページ日清戦争錦絵美術館もいかにして戦争が美しく、かっこ良く伝えられたかを検証していこうという事が目的なので、うなづけるところも多かった。ただ、NHKの再放送を流し見した限りでは、NHKはこの本に書かれているような批判は最初から想定済みでうまくかわせるような工夫を満載しているような気がした。特に「伊藤博文が平和主義者か?」というような問いかけに対しては、睦や川上など開戦に誘導していく人物を回りに配置してそれに抵抗する人物としての伊藤を浮かび上がらせるが、開戦が避けられないとなると一転したたかに外交戦略を繰り広げ、「平和主義者」にとどまらぬ老獪さをうまく描いているように思う。
また、東郷平八郎が浪速の艦長として英国運送船「高陞号」を撃沈した際、輸送されていた中国兵を全員射殺或いは見殺しにした事件はちゃんと描いていたように思う。
もちろん、旅順口の虐殺事件は全く触れられなかったし、日本軍の蛮行は森本レオ扮する曹長が一人で引き受けてしまうという頼りなさは、決定的にある。
 そして何より、生前の司馬遼太郎が「決して映像化してくれるな」とかたくなにこだわっていた事をNHKはどのように反古にしていったのかは、もっと検証されるべきであろう。






もう一冊は「とんでも本」だ。右側(極めて)からの批判で、乃木希典を戦略上の智将として再評価しようという大きな目的があるようだ。その他のパートは坂の上の雲には直接関係なく、司馬遼太郎の歴史観に関しての事。昔の本(例えば少年漫画週刊誌の巻頭グラビア特集)などを読んでいるような気にさせられた。
あまり、語る事はない。

2011年8月17日水曜日

歌川芳虎、早川松山、四代目歌川国政、楊洲周延 の画




こんな感じの絵師年表を作成した。西南戦争当時の絵師の年齢を比較してみたかったのだが、いかがだろう。師匠弟子の関係や交友関係を反映するような相関図、系図的な物も作成していきたいと思う。





歌川芳虎はこの頃はもうとんでもない大ベテランにして人気のトップ絵師である。7作品をアップロードした。

27歳の早川松山の作品は以下の4点。河鍋暁斎の門人である。

四代目歌川国政の作品。日清戦争錦絵の小国政の実の父という事だ。日清戦争錦絵に登場する、香蝶楼でもあるらしいが、未確認。号をしょっちゅう変えたり、襲名したりでややこしい。

楊洲周延の作品は以下の7作品(ここまでのところ)。大正元年・75歳まで生きていたのでもう本当に生き証人という感じだろうか。もちろん日清戦争錦絵もたくさん製作している。日清戦争錦絵美術館では10作品ご覧いただける。


2011年8月3日水曜日

小林清親 登場





の7作品をアップロードした。左の画像は「新聞鹿児島事情」の一部で、小林清親デビュー2年目の作品だ。この髑髏模様の派手な衣装をご覧あれ。ほかにも安達吟光が3作品登場している。この両者は日清戦争錦絵も手がけていて、17年を隔てた画風の変化も見ていただける。

2011年8月2日火曜日

ズームツールを導入


「022佐土原城進撃之図」以降はズームツールを導入した。これまで記事の文章をはじめとして細部が見にくかったので、少しでも見やすいようにズームできるようにした。別のファイルを読みにいって開くので、時間がかかるのが難点だが、少しはましになったと思う。
以前にアップした作品や、日清戦争錦絵の方にも取り入れていきたいと思っている。乞うご期待。さらに細部を詳細にご覧になりたい方は本家の国立国会図書館のデジタル化資料でご覧ください。西南戦争錦絵で検索すれば公開可能な作品がこの「西南戦争錦絵美術館」と同じ順番で並んでいる。


をアップロードした。山崎年信は8作品で終わり、小林永濯が登場した。

2011年7月14日木曜日

山崎年信の作品


をアップロードした。
020鹿児島記聞  川尻本営図の作者は山崎年信で、西南戦争錦絵では初めて芳年以外の絵師の登場となる。さっそく、どんな人か調べたら、この経歴が面白い。29歳という若さでなくなるのだが、西南戦争の頃はなんと、20歳。その後、坂本龍馬の最初の評価のきっかけとなった、『汗血千里の駒』(明治16年=1883年に高知の『土陽新聞』に坂崎紫瀾が連載)の挿絵を書いたりしている。芳年の弟子であるが、師匠との関係が小説のようだ。詳しくは、作家一覧で御覧あれ、ウィキペディアの丸写しですが。